年明けパンダとパーティ

どうぶつたちは新年を祝うのであろうか??

まさか、そんな、バカな。と思うであろうが、私は祝うのではないか?と心の片隅で期待しているのである。

そもそも動物が何を考えているのか??ということをわかる手立てはないのだろうか?

人間に対してはいろいろな実験をしたりして、対象者に聞いて見ることもある。しかし動物に聞いて見ても話が通じないんじゃ答えようがない。

まさか鳥に、「明日はどこ飛びますか?」と聞いて、「いや、明日は寒いからこの辺ブラブラしやす」とか答えてくれるわけもなく。

かといって、鳥語でぴぃーと鳴く。それが実は「いや、明日は寒いからこの辺ブラブラしやす」と言ってるのかもしれない。

しかしそうすると人間の言葉は理解できると言う前提になるのでやはりこれもないようだ。

いや言葉が理解できるごりらとか、手話ができるごりらとか話題になったけど、証明されてないわけで、、

でも動物については観察実験なんてものをしてるわけで。

つまり考えることは当然できるわけですね。

では問題は新年という概念があるのか?また祝うという概念があるのか?という問題に帰結します。

新年とは何か?これをまず調べなくてはならない。なぜならその新年とやらを動物が認識できるのか?という問題があるからであります。

いやしかし、明確にカウントダウンしてピッタリ深夜12時にハッピーニューイヤー!なんてないだろうな。。そもそも人間ですらそこまでの体内時間は持ち合わせていないし。

そうするとやはり新年になったことはわからないだろう。そして新年を祝うこともないのか?

祝うという概念はどうでしょうか?子供が産まれた瞬間なんかは祝いそうなもんだ。

上野動物園でパンダの赤ちゃんが産まれた時は人間が多いに祝ったわけで、しまいにはお母さんそっちのけで名前を公募されてしまって。。

いやでもお母さんに聞いても鳴き声なのか名前なのかわからない結果になるのは目に見えてるし、それを名前にしてもみんな発音できない問題になるのでやっぱりシャンシャンはシャンシャンで良かったと、そう思う次第です

さて次に表出しない場合がこれまた難しい問題です。

心の奥底で祝ってるのではないか?新年を祝う気持ちを押し殺しているのではないか?なんて思うわけです。

そう感情を押し殺すタイプのソレではないか?とそうしたらもうわからないのはわかないんだけど、でもね、新年を迎えて動物たちに会った時に、一緒に祝えるか祝えないかは大事だと思うのよね。

こっちの都合で祝っても動物たちは???みたいな顔してたら嫌でしょ

少し調べて見たところ心理学で情動感染というのがあるという。ポジティブな人と一緒にいるとポジティブになるみたいな。

つまり祝う人間と一緒にいたら一緒に祝いたくなるのではないか??

そんなわけで新年は動物園でお祝いしてみてはいかがでしょう?

 




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です